第二礼拝と大村礼拝では、マタイ25:1〜と13節から「賢い娘と愚かな娘」について、メッセージがなされました。
1節〜8節
花婿を出迎える10人の乙女がいました。5人は賢い娘 は灯火をちゃんと備えて持っていましたが、愚かな娘は 灯火を持っていなかった…
9節〜
愚かな娘が灯火を買いに行っている間に、花婿は到着し…門の戸が閉められました…
13節
だから目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
凄いですね。
長崎と大村…
お互い打ち合わせ無しで同じ箇所が示されるなんて…
10人の娘とは教会にを示し、油とは聖霊の事です。
灯火が消えそうになる…つまり油が無くなるとは、一旦神様を信じ聖霊のパプてスマを受けていても、聖霊の声に聞き従う行いをしていなければ無くなると言うことです。
一方賢い娘は、聖霊の声に聞き従う歩みを成し続けていた…つまり油が沢山貯めてあった…と言うことです。
花婿が来るのが遅かった…それは終末の時の備えを成していなさい、その時は誰にも解らないのだから…と言うことです。
このような事を今日は学びました。
私達も、「賢い娘」と言われるように、何時も御声に聞き従う歩みを成し続け、何時も目を覚ましていることが出来ますように…と思いますよ。
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