2015年1月15日木曜日

絶望という名で、覆ってくる闇…





夏…
こんな花が咲き乱れていました。

ルカ24章16節
「しかし、ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。」

イエス様が十字架にかけられ「死」んでしまいました。
弟子達は、どんな思いだったでしょうか…

絶望と不安との中…

イエス様が「復活」して、その姿を表して下さいました。
でも…
彼らの目にはその方が、イエス様だとはわからなかったんです。

なぜ?

絶望のあまり…
深い悲しみの中にいると、心の目が閉ざされしまうんです。

いつも、真っ直ぐに見ていたいな…

どんな状況の中にあっても、そこにイエス様を見て…
イエス様の声を聞いていたいな…
と思うんです。

敵は、巧妙な詐欺師です。
ちょっとした、心の隙を狙い、私達の中に入って来て、私達の目を覆ってしまうんです。

1ペテロ4章8節
「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

9節
「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」

10節
「……あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」

ほら…
そこにイエス様はおられます。

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