「水まんじゅう」です。
このお菓子を始めて食べたのは、確か母が天に帰った後
友人がプレゼントしてくださいました。
「母は天に帰ったんだ!」と喜びがありました
しかし、この時は私にとって決断の時…
信仰が試される時でした。
身内は殆どカトリックです。
この方々に説明しなければなりません…
母の信仰を…
母が日々何を見て誰に祈っていたのかを
そう、それらを通夜の夜「やすらぎの歌」を
耳を澄ますと聞こえる音量で、ずっと会場に流してもらいながら、
夜通し語り続けたんです。
神様が成して下さった数々の恵みを
1週間と言われた命が、8年も生きることができた事を
毎日聖書の読み聞かせを…
神様に祈る事をとても喜んでいたことを…
そして、翌日、そのCDを…
「母が何時も聞いていた賛美の曲です…聞いて下さい」
といって、親戚の方々に渡すことができ
告別式で、みんなの前でそれらの事を簡潔に語る事が出来たんです。
私は、いつもいつも祈っていました
「神様…あなたが語って下さい…」と
そんな、喜びと緊張が続く中で過ごしていた時
このお菓子を頂いたんです。
やさしい甘さがとっても嬉しかったんです。
一口食べて「こんなに美味しい物があったんだ!」と感動しました。
いつもいつも教会のみなさんが祈り支えて下さっていました
「祈りは聞かれる」 この事の実践の学びの時でした。
伝導3章1~4節
「天の下では、何事にも定まった時期があり、
すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある……」
11節
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」
ふと…当時を思い出し「水まんじゅう」が食べたくなりました。
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