2014年6月21日土曜日

罪は赦される…

我が家の、小ちゃい畑で育ち始めたプチトマトを、部屋から…上から眺めた所です。
「聖霊の雨が降り注ぐ…」と口ずさみながら…

イザヤ33章24節
そこに住む者は、だれも「私は病気だ。」とは言わず、そこに住む民の罪は赦される…

神様がこう語って下さったら…
素敵ね。
きっとあなたのこの病も、苦しみも、思い煩いも…
全て神様が取り除いて下さり、「既に私達の罪が赦された」と、言って下さるのですから…

神様は、その重荷から解放し、自由にして下さいます。

あわれんでください…

職場の一角に…
以前、この花はなあに?と思った木に「実」が成っていました。
しかし…なんの「実」でしょうか?
梅のようで梅ではない…
あんずかしら?と思いながらパチリと写しました。

イザヤ33章2節
「主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。
朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。」

と、祈りながら…
一週間の最後の仕事が始まります。

イザイザ…出陣です。

「主よ。あわれんでください…
何時も、どのような状況の時も、あなたを見て、喜んでいることが出来ますように…」と祈ります。

黙示録…

おはようございます。
「今年は雨が降らないよ〜」と言ってましたが、最近はほぼ毎日雨です。
そうなるとげんきんなもので「ながさき〜は〜 今日も〜 あめ〜だった〜」と歌い出しそうになります。

この写真は自分の部屋から外を眺めて、パチリと写した写真です。

このようにこの部屋を病気で思うように動けなくなった母が、どのように病状が悪化しても、自分の部屋から寝ながらでも緑が見えるようにと思い、作った部屋です。
花が先き、実が成り始める工程を、夏には大好きな、ゴーヤの黄色い「花」と「実」を、目の前に見えるようにと棚も作りました。

今日から「黙示録」に入りました。
「黙示録」以前は難しくて解らない…読み続ける事が出来ない…と思っていました。

今の教会に来て、その「黙示録」が読めるようになりました。
この黙示録は、パトモスに流されたヨハネが書いています。

黙示録1章11節
「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会に…送りなさい。」と…
キリストによって、直接ヨハネに与えられた「黙示」超自然的な幻による啓示なんです。

あなたも読んで見たいと思いませんか?

2014年6月20日金曜日

懐かしい花…

ダリアの花です。

ダリアと言うと思い出します。
子供の頃を…

五島に住んでいた頃…
家の裏に咲いていました。
その時の光景は忘れることはありません。

父が好きだったのでしょう…
色とりどりのダリアの花が咲いていて、その花を眺めながら、スイカを食べたものです。
大きなスイカを両手に持って口いっぱいに頬張って…その畑をめがけてタネを飛ばす競争です。

自分の畑でスイカ・プリンスメロン・キンショウウリ・キューリ・トマト・かぼちゃ・ナス・ピーマン・トウモロコシ…ビワに夏みかん…色んな物が植えてありました。

ふと…
真っ赤なダリアの花を見て子供の頃を思い出しました。

屋外からロビーに…

素敵でしょ。
葉っぱだけの時から見てきました。
小ちゃい蕾がついて…
少しづつ少しづつ小さな花びらが開き、今は最も美しい時を迎えました。

聞くところによると、ロビーに置かれることになったようです。

今…
どんな状態の時も「愛」を持って見ることが出来るようになりました。

そして、心から「美しい…」って…
神様が創造されたされた物はみな美しいって思えるようになったんです。

あなたは今、どのような状態の時でしょうか?
以前のこの花のように、職場の片隅でひっそりと誰も目もくれてくれない…と思っていませんか?

そんなあなたも…
神様の愛を知ったならば必ずこの花ように立派に咲き誇る時が来るんです。

どのような闇も…

「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」
ヨハネ1章5節

必ず光が届き、あなたの人生は輝き出すんです。

その力は何処から?

桜の木が…
桜の花が満開だった時もとっても素敵でしたが、緑の季節も素敵だと思いませんか?

昨日は日中は雨が降りどんよりしてたのが、夕方になると急に強い日差しが差し…不思議・不思議…と思っていました。

今日は朝から良いお天気です。
小鳥がこの木々の間を飛び交い、ピピピピ…チュンチュンチュン…と元気に、そして楽しそうです。

数日前のどんよりが嘘のようです。

私は今の教会に導かれたころ…
「義とはなんぞや!義人とはなんぞや!」と思っていたのですが、もうひとつ「愛とはなんぞや!」と怒りを覚えてました。

「愛」という言葉が大っ嫌いでした。
「愛なんて嘘っぱちだ!」「人間の愛も神様の愛も信じられない!」と言って、生きることに絶望していました。

ところが不思議ね。
あれから7〜8年でしょうか…
今は「神様の愛」を「神様の光」を苦しんでいる人々に届けたい!と働いているんですから…

誰も私を変えることは出来ない程頑なでした。
誰も信じませんでしたから…
この子達のために、「死ねない」と覚悟を決めた時ですら、私は「自分の力で生きてやる!」と思ってました。

でも…
神様が私を変えてくださったんです。

誰が導いた…

今日はとっても眩しい日差しで…
カメラだけを向けて立ち去りました。
落ち着いて開いて見るとこんな写真が残っていました。
昨年の花と今年の花と…解りますか?

私はきっと、花が終わったらさっさとバッサリ切り落としてしまいますが…
この花は職場の山肌にあって、手が届かないので毎年このように自然に任せた姿で放置されています。

ほったらかされているようにしか思えないのに、毎年可愛い花を見事に咲かせてくれます。

何だか…語りかけを感じませんか?

聖書を開いていると
「義人はいない。一人もいない…」
ローマ3章10節

この箇所は私が今の教会に導かれる前に行き詰まっていた箇所です。
「義」とはなんぞや…「義人」とはなんぞや!と思い、幾つかの本を読みあさっていましたし、カトリックの教えの場所に行けば解るかと行ってもみました…
でも…更に…ムムム…難しい…

私には「立法的…哲学的…」にしか思えなくて、私の頭では理解出来ないでいた時に…

ふと、気づくと今の教会に来ていました。