2014年2月6日木曜日

導かれて…No7

平成23年11月24日(月)の朝早く父は天に帰ったのですが…

前日娘は「危険物」の資格試験の日でした。
娘が言いました「私が試験受けている間に、おじいちゃん死んだりしないよね?」って…

でも…
おじいちゃんはどっちが嬉しいのでしょう…
側にいてくれるのと、頑張って試験に挑戦している姿と…
泣きながら娘は試験会場へ向かいました。

すると、帰って来るまでおじいちゃんは待っててくれたんです。

おじいちゃんとお別れして…
少し落ち着き、丁度寂しさが増した頃…

Nさんの御主人が脳梗塞になった事を聞きました。話を聞くと「かなり重症」です。私はとっても胸が苦しくなりました。「今、会いに行かなければ…後悔する」と、私と娘は強い促しを感じたのです。

そしてNさんと一緒に、私達は会いに行ったんです。

そこで見たのは…
思わず涙が…「Tさん!凄い!よく頑張りましたね!」と、思わず口にしていました。そう、挨拶もせずに…

Tさんはとっても素晴らしい笑顔を私達に見せて下さったのです。

その頑張りが痛いほど解るから…(私達のおじいちゃんも何度も脳梗塞になって…右片麻痺・失語症にななり、快復したんです…)

脳梗塞の快復は、本人のやる気次第なんです。(もちろん、教会は一丸となって必死で祈っていました)
それは、今まで何にも考えなくても出来ていた事が出来ない…
とてつもない喪失感と悲しみと怒りとの戦いなんです。

Tさんはすっごく頑張ったんです。
その頑張りが…その笑顔がおじいちゃんと重なったんです。

娘は「神様が、おじいちゃんに会わせてくれた…おじいちゃんの笑顔を見せてくれた…」と、泣きながら何度も何度も言いました。

そうなんです…
娘はずっと神様に「おじいちゃんと会わせて下さい…あの笑顔をもう一度…」と祈っていたんです。

私は祈っていました…
父が植物状態になっても、完全にいやされて「共に証人」として用いて下さい」と。

父は天に帰り「証人」にはなれませんでしたが…

神様はTさんの脳梗塞をいやし、Tさんが宣言した「俺は自分の足で歩いて教会に行く!」と言った願いを聞いて下さったんです。

それがとっても嬉しくて…

神様は私達…教会の祈りを聞いてくださったんです。

賛美と私…No7

今日は2月5日(水曜日)
ここ長崎の西坂の丘で「26聖人殉教記念聖会」が行われました。

1597年2月5日に24人のキリシタンが、大阪・京都で捕らえられ、一月以上かけて長崎まで連れて来られ…
彼らの信仰に感銘を受け、付き人の2人が加わり26人が十字架上で処刑されたのです。

私が今所属している教会は、彼らの歩みに感銘を受け、この日を記念する集会を行なったのです。


「賛美隊」と語られても…どうしても受け入れることが出来なかった私です。

ボイストレーニング…そんな私が、
神様の促しを感じて始めたのですが…それはいつも「選択」の日々でした。

父の状態が悪化し…天に帰りました。「賛美したい」と思う私と「やっぱり違う」と思う私…

両親が天に帰ったことにより、2人が何時も祈って頂き何度も癒しの体験をし喜んでいた教会の事を話しました。

しかし、「お前はなんでか!」と言う声も…
でも…私にはこれしかなかったんです。

そんな狭間でのボイストレーニングです。

なかなか声を出すことすらできず、涙ばかり流していました。
私は何故こうまでしてこの教会にいるのか…と思いました。

そのような状況を…温かく見守り祈り備えてくださった、ボイストレーナーのT牧師。底辺でぐじぐじしている私に、根気強く付き合って下さったのです。

教会の祈りに支えられている事が解りました。

しかし、マイクを持ち歌い始めると、自分の声が…
否定的な思いにずっと悩まされていましたが…

そんな私が「賛美隊」として立ったのです。

今回は早くから、何故か「2月5日西坂の丘で、とても良い天候の中、殉教聖会が行われる…私は立つ…」との揺るぎない思いがありました。

そして、実際その通りになったのです。

賛美隊として立った時、神様の暖かい光が、最後まで私を包んでいました。
そして不思議な程落ち着いてて…
人の目を気にするのではなく、天を見上げ…その風景は素晴らしくて…
神様との交わりの時を持つことが出来たのです。

神様は私の願いを遥かに超えた素晴らしいことをしてくださったのです。

全く力のないものを用いて下さる神様って…
計り知れない「愛」を感じます。

2014年2月4日火曜日

私のじいちゃんは…17

職場の一角に…
毎日、忙しい合間に花を見て、にっこり。でもね、昔の私はそんなに花には興味は無かったんです。

花を育てるのが好きだったのは「私のじいちゃん」そう、父です。

父は、家庭菜園とガーデニングを楽しんでいました。バラやチューリップetc…

五島に住んでいた頃は…
一般的な野菜は殆ど作っていましたが…出荷するものは「小麦と芋…」と…「かんころ芋」…

生芋を機会でスライスして、自家製の芋棚に広げて干すんです。

又、茹でかんころは、生芋をスライスして大窯で熱湯を潜らせてから、芋棚に干します。
これが「かんころ餅」の原料になります。
この時期は、寒風が吹く中、暗くなるまで働いていました。
電気を付けて…あのテーラーのエンジンの音が寂しくて…
まだ小さかった私は、両親に「まあだ〜 まあだ〜」と言って泣きべそをかいていたのを思い出します。

船乗りと農業…牛も飼ってましたから…今の時代のように「休みの日」なんか無くって…一生懸命働いていました。

でも、歳をとってからは、何度も脳梗塞のいやしを体験し…最後の時は…脳幹梗塞で植物状態になっちゃったけど

もしかして、私の思いとは裏腹に…

目に見える状態はとっても可哀想だったけど…父は案外苦しくなくて…

私を待っていたのかな…
祈りと賛美と聖書を読んで…一生懸命話しかけてもらう時間を喜んで…
父も私と一緒に神様にいやしを求めて祈っていたのかな。
今までの不信仰を悔い改めて、神様にしっかり眼を向けて…天に帰る準備をしていたのかな…

私は、この父が完全にいやされて「証人」として一緒に福音を宣べ伝える者として下さい…と、神様に何時も祈っていましたが…

神様って、私達の思いや計画をはるかに越えた計画を持っていて…

その計画は最善なんです。

2014年2月3日月曜日

可愛いカナリヤ…No1

今日は娘(通称カナリヤ)が…
高校生活最後の、卒業バス旅行に「ハウステンボス」に行ってきました。

このチョコレートがお土産です。
「一度食べて見たかった!」と嬉しそうな顔して…

でもね…
こんな嬉しそうな顔を見れるなんて数年前までは想像すらできなかったんですよ。

ここまで導いたのは神様…としか言いようのない日々があったんです。

私達が、今の教会に導かれて…
私は「これで大丈夫…神様が全てのことを益として変えてくださるから…私はもう大丈夫だ!」って、なんだか光を見つけたような思いだったんです。

でも、ある人が言いました。
「あんまり神様に熱心になると十字架を負うよ…」って…

神様を恨むほどになっていた私が、神様の方を向いた時…

母が「間質性肺炎」になり…生と死の狭間で苦しみ…
ついて行くかのように父が…心臓の手術が先か頸動脈の手術が先か…と緊急を要する状態になり…
あれが先か、これが先かとてんやわんやするうちに…

苦しみは二重にも三重にも重なり…

娘は中学校へ行けなくなってしまったんです。
苦しむ娘の姿を見る度に私は自分の事を責めました。

この子が一歳になったばかりの時…
私は全てを無くし…
背中にこの子を背負い、両手に二人の娘の手を握りしめ…出てきたんです。

だから…この子は父親の顔を知らないんです…
誰よりも父親を求めていた子です…

私は、ずっとずっと必死で生きてきて…この子達の命を守るために頑張ってきたのに…気がつくと…

あまりの忙しさに…
私は育て方を間違ったんでしょうか…

大切なものって何?

娘はどんどんどんどん闇の中に入って行って…
どんなに助けようとしても、どんなに神様に祈っても、私の祈りも深い闇に飲み込まれ…

そう…
私も何度も闇の中に一緒に落ちて行ったんです。

でも、そんな苦しみの中…
「わたしはあなたの行いを知っている。見よ。わたしはだれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。」(ヨハネの黙示録3章8節) って語られてる気がして…

でもね…神様がそう言っていると思っても、その門が何処にあるのか、どんなに探し求めても解らないんです…

私は何をどうして良いのか解らず…
何度目かの地の底で思いました。
「もういい…誰も何も言わないで…私はここでいい…もう疲れた…」と。

すると、朝早く携帯が鳴りました。(まだ6時すぎ)
思いもかけない人が「おい!生きとるか!」って…
消え入りそうな私の声を聞いて言いました。「おい!お前は神様に助けて下さいも言えんのか!」って…
必死で怒鳴るんです。

二重三重にシャッターを下ろして鍵までかけていた状態の中で…
シャッターに手をかけ少し開けて…
私の声が漏れたんです。
「か・み・さ・ま…」って、か細い声が…
途端に一気に大きな声で「神様!助けて下さい!」って叫んでました。
すると、眩しい光がさして…私は地の底から強い力で引き上げられたんです。

その時の喜びは言葉にならない程で…
まるで初恋の時のようなトキメキが…「もう誰も…二度と愛さない!」と言っていた私でしたが…


つづく…

2014年2月2日日曜日

賛美と私…No6

今日は午後から「天正夢広場」で路上賛美をしましたが…
以前は考えられないことです。

「賛美隊」と思う気持ちと「絶対に違う…惑わしだ」と思う気持ちとの戦いの中…
選んだ「ボイストレーニング」

でも、神様に期待し一歩足を踏み出した途端、父の状態悪化…

全身のピクツキと、血圧と脈拍の変動…痰のゴロ音が強く頻回に吸引と吸入が必要でした。

何時呼吸が止まってもおかしくない状態が手に取るように解りました。

こんな時…
看護師でなければもっと気楽に…
ノー天気に見ていることができたのに…と、何度も思いました。

「危ないぞ!」と思っては何度も泊り込みました。
側にいると…職業病です。つい観察を始める…

でも、私には何にもしてあげることは無いんです。

だから…
私に出来ることは、ただ側にいて、手をさすり、祈り、賛美し、聖書をひたすら読んであげる事だけなんです。

そして、普段はなかなか思うようにできない「早天」に病院から駆けつけたことも…

こんな時、共に祈れる教会があるって幸せ…みんなが心から祈り支えて下さいました。

このような状況の中の「ボイストレーニング」です。

「ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ〜」と発生練習です。
でも、やっぱり出てくるのは声ではなくて「涙」なんです。

「意味があるんでしょうか…こんな状態で…私は何をやってるの…時を間違ったのでしょうか…あ〜神様教えてください」と祈る日々でした。

そして、11月24日23時過ぎ…(この日も泊まっていました)
看護師に「身体を休めませんか?」と勧められ…待合室の仮眠室で…
ちょっと…横になった時…父は穏やかに天に帰ったんです。

最初は「せっかく側にいたのに…」と後悔しました。
でも、これで良かったんです…
きっと、父がこれから後の事を思って、「少しでも身体を休めろ!」って言っている気がしました。

この日は日曜日…
兄弟達に連絡し、これからの為に自宅に戻る時間が与えられました…

ちょっと…
教会の礼拝に参加して、父の所に戻ったんです。

このように、些細な時間にも、教会に行くことが出来た事は、私の霊的支えになりました。

あなたは何を優先しますか?
私がとった行動は…
変だと言う人もいるでしょうね…
でも、私は…これが私に出来る精一杯の、最後の親孝行だったんです。

つづく…

2014年2月1日土曜日

賛美と私…No5

今日は久しぶりに花に水をやり、配置換えをしました。

H23年11月
「信仰の歩みだ!」と…
神様に期待し、ドッキドキのボイトレ1年生…

でもね…
この年の2月に母が天に帰ったんですが…

父と母はとっても仲が良くて…
何時も急変する時は同じでした。

みんなが言っていました。
きっと二人とも一緒に行くよね。
もしかして…二人同時にお葬式になるかも…って。

母は元気だった頃いつも言っていたことがあります。
「私はじいちゃんの最後を看取ってから天に帰るよ」って。

でも…まさかの母が先で…
父は相変わらず低空飛行で頑張っていました。

母はきっと…
「私は先に行くよ〜あんたはもう少しミッコの側におってやらんね…」と言ってるように思いました。

見事な天に帰り方を見せてくれた母の色んな事務手続きを済ませ…
私は名字を旧姓に戻す事にしました。
結構大変で…手続きが済んだら今度は自分の書類の書き換えが必要で…(通帳・免許証・etc)

やっと、終わったぞ!と思い、
今度は「賛美隊」として立つために…「ボイトレ」を始めた私だけど…

父の状態が悪化しました。
毎日仕事帰り父の側に行きました。
ある日、ボイトレの日…
迷いました。
でも、レッスンの前に一眼でも父の顔を見て…と思い車を走らせると…
交通渋滞です…迷って迷って…もう少しで病院なのに…でもそこから
ボイトレに…そう引き帰したんです。

でも、レッスンになっても…
ただそこに居るだけで…
涙が止まらなくて…「これでよかったんだろうか…私の判断は…神様…教えてください…」と祈るだけでした。

どちらを選ぶか…
とっても難しい選択の時があります。

泣いてばかりで、全くレッスンにはならなかったけど…
でも、神様は「それで良いんだよ」と、言っていると思いました。

そして…

つづく…

賛美と私…No4

この緑…好きなんです。

そう…
「賛美」と語られてもどうしても嫌だった私…

ずっと「そんなことないだろう…惑わしだ!」と打ち消してきました。

�「きっとサタンが私に恥をかかせ ようとしてるんだ…」
�「きっと、歌えるようになりたい…と言う私の思いだ…」
�「イヤイヤこれは神様からの語りかけだ…最も力の無いものを用いると言ってるじゃないか…」

どっちなんだよう〜

「神様…私に解るように語って下さい」と何時も祈ってました。

それから数年も悩み続け…
もう嫌だ!もう絶対嫌だ!
こんな苦しい所もう嫌だ!と思った矢先に「ボイストレーニング」の話があったんです。

そして「これが最後だ!」と思って始めた「ボイストレーニング」

ドッキドキの「初体験」は…

愕然としました。

解ったんです。
何がって?
まず、発声練習…「ブルルルルル…」
ピアノの音に合わせて声を出すんですが…

解んない…
そう…音程が解んないんです。

そうなんです。
まず音程が解らない…そのレベル…
そして…更に…
普通の人よりも随分とキーの高さが低い事が解ったんです。
(だから、学校で一緒に歌えないはずです…)

という状況で…
人と比べると随分とレベルの低い位置からの始まりだったんです。

頭がクラックラしながらも、「続けると必ず声は出るようになる」
と信じました。
「きっときっと神様からの導きだ」と信じて…

ところがです…
更に頭がクラックラする出来事に直面することになったのです。

それは…

つづく。