2015年2月22日日曜日

続々と…




間も無く…浦上教会でミサが始まります。

雨の中を、傘をさして歩く人々…
車でやってくる人々…
急ぎ、タクシーでやってくる人…

導くのはだれ?

と、思いながら…
そうでした…かつて…
私もこの人達のように…
このように吸い込まれて行っていました。

言葉を求めて…




今日から、「クワイヤー」の練習が始まります。

ワクワク…と共に…
ちょっと迷いがあります。

それは、この時間は何時も「天主公園」で、一人路上ライブをしていた時間だから…
主の導きだと、信じて行っていたから…

祈りながら、今日は第一礼拝の後に来てみました。

あらあら…沢山の人が「浦上教会」に入って行きます。
公園を通る人も、みんな吸い寄せられるように…

ううう…
「神様…御心を教えて下さい…」としばらくたたずみ祈って居ます

「主よ…語って下さい…」

豊かに受けますように…




真冬の寒さから逃れて、室外から室内に避難していましたが…
昨日、雨の中屋外に出しました

昨日に引き続き今日も雨が降っています。

豊かに…豊かに…
聖霊の雨を…
主の光を受けることができますように…

受けて元気を取り戻す事が出来ますように…
と、願いを込めて。

2015年2月21日土曜日

十字架の愛…

1ペテロ2章24節
「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです。」

イエス・キリストは罪を犯したことがありません。
なのに、極悪人が処刑される、十字架上で死なれたのです。

なぜ?

最近気になる賛美の曲は、風のひびき第2集2番の「十字架の愛」です。
「あなたの祈られた祈りを、私の祈りとさせて下さい…」と歌っていますが…
イエス様のように「あなたの御心のままに…」と…
祈る事が出来るでしょうか
そのような深い愛が私にあるでしょうか?とふと思ってしまいます。

イエス様は、何の罪も犯していないのに、
偽りの言葉を並べ、人々はイエス様を殺してしまいました。

しかし、これはイエス様がこの世に生まれた使命でしたから、
どんなに、ののしられても、苦しめられても、鞭打たれ血を流しながらも…
人々の救いを天の神様に願い槍を胸に受けました。

十字架上でのイエス様の血潮が…
十字架上でのイエス様の愛が…
私達を救い癒して下さるのです

ふと…そんな事を考えてます。

耐え抜いて…生きて…




先程…
車のドアに手を伸ばしながら、ふと目を挙げてみると…

エッ‼︎

てっきり、葉っぱもつるも枯れ始めているものと思っていましたが…

何と「新芽」が出ていました。
つるの先は枯れてるのではなく、生き生きとして、葉っぱの赤ちゃんがちゃんと付いてます。

ワォ‼︎

嬉しいな…この冬、枯れずに耐え抜きました。

新しい一年…
きっと、更につるは伸び葉っぱが沢山出てきて…
そして、沢山の花を咲かせ私を喜ばせてくれるはずです。

試練に耐える人は幸い…
その者たちは沢山の実を付ける者となるからです。

さあさあ…
週の最後の日、今日も笑顔で頑張ろうっと…

イザイザ…出陣‼︎

一日の終りに…一日の初めに「感謝しよう…」

 あらあら…日にちが変わっちゃいました。
仕事帰り…随分と日が長くなりました。
以前はこの時間真っ暗でしたもの…
太陽が最後の力を振り絞って、まぶしく輝いていました。
だから、道中ちょっと車を止めて「パチリ」と写しちゃいました。

「今日も一日お疲れ様でした…」と自分自身に声かけながら…
明日は週の最後の仕事ですね
毎日毎日慌ただしくて…
時々「祈る事」を忘れちゃいます

イライラっとして…
「おっといけない…感謝しよう…」って感じです。

さあ…明日の為に…早く片付けましょうか…

2015年2月20日金曜日

命は…誰のもの?

「素敵な青空~」と喜んでばかりいられません…

歳を重ねると…90才…100才…
序に序に食事が入らなくなります。
のみこむ力がなくなって、直ぐにむせて…誤嚥します。
身体が食事を受け付けなくなるんです。

当然体重が落ちます…羸痩が目立ってきます…さああなたはどうしますか?

口から入らなければ「経管栄養」の方法があります
鼻からチューブを入れる「鼻腔経管栄養」
胃に直接穴をあけ、胃瘻増設し「胃瘻による経管栄養」…

でもね…本来「経管栄養」は、病気の為、一時的に用いれば回復し、
再び口から食事ができるようになるための物なんですよね

加齢によるもの…
単に口から食べれないから、機械的に栄養を入れて、
命を引き延ばす物ではないと思うんですよね…
よく「延命」は希望しません…と聞きます。
でも、これも一種の延命処置だと思いませんか?

高齢者社会…
「経管栄養問題」も一つの社会現象であり、課題だと思いませんか?
誰の為にするの?
本人が本当に望んでいる?
喜んでいるの?
苦痛を感じてる場合だってあるんじゃないかしら…
命を操作してもいいものなんでしょうか?

鼻腔にしても胃瘻にしてもリスクを伴うんです。
皮膚トラブルや栄養剤が合わなくて下痢したり…
痰が多くなり吸引が必要となります…
自己抜去…速やかに対処し病院で挿入しなければなりません。
口から食べる人だけが「誤嚥性肺炎」になるんではないんです…
たとえ、口からの嘔吐が無くても、
栄養剤が自然に気管支に逆流し「誤嚥性肺炎」を引き起こします

本人は食べたくなくても、機械的に栄養を入れられるって…
「人間の尊厳」って守られているんでしょうか?

病院は、病気の治療をし、後は栄養の問題だけだ…となった場合
安易に「胃瘻増設」し経管栄養にして家庭やホームに戻そうとします。
確かに病院は長く入院させる場所ではないから…

高齢者社会…
人の命ってなんなんでしょうね…と、時々考えてしまう事があります。
これから20年30年後…
高齢者だらけです…その中にきっと私も含まれます…

私は時々子供たちに言います。
「お母さんが口から食べれなくなったら…自然でいいんだよ…
食べれる範囲で自然に…決して胃瘻など作らないでね…認知症になったら…
時を見て適した場所へ入れて頂戴…」ってね

高度な医療ではなく、心のケアで充分だと思うんです。