2014年1月23日木曜日

私のじいちゃんは…No16

どんな闇も必ず光り輝くんです。

私のじいちゃんが植物状態になって…
たとえこのような状態になっても私は「必ず完全に癒されて2人で証人として、福音を宣べ伝えるんだ!」と信じ祈り続けていました。

私のたどたどしい祈りでも、「天に届く」…と信じて。

この時期…
振り返ってみると…やっぱり凄かったなって思います。

肉体は極限状態でしたが、至る所に神様の計画を見た思いでした。

だって、母の所に行けば、他人に手を置いて祈り語りましたし、父の所に行けば、そこで他人に手を置いて祈ってましたから…

ふと思ったものです。
神学生(牧師?)が1週間に5人に手を置いて祈ると聞いた時…
「あらっ…私祈ってるかも…」って

どんなに苦しくても、神様の話をし始めると…そう元気になるんです。
相手を慰めているようで、自分が神様に慰められて…力を受けていたんです。
そう、語り出すと…私の口は止まらない…あれっ 私に言ってる…と思うことがしばしばでした。

ベットの枕元には聖書があって…
時々看護師に尋ねられました。
「何を読んでるんですか?」って。
すかさず「聖書です」って言ったものです。

父は3度目の脳梗塞になって…
脳幹梗塞になって、何と難聴が治っているかのようでした。
そう、祈っている時、話しかけている時…父が解っているって感じました。

だんだんレベルが落ちてきて…消耗反射(まつ毛を触って反応を見る)左目が1番最後の反応でした。

でも、あんなに祈りの場を逃げ出した父が、祈ってもらうのを喜び、聖書を聞いているって思ったんです。

私の賛美を「下手くそだな…」と思いながら、微笑んでいるように思いました。

最初、父は天国に行けるんだろうか?手遅れなんだろうか?と思ったことがありました。酒もタバコもパチンコもしていましたから…

でも、神様のなさることは全てが時にかなって美しいんです。
父にとってこの病気をとおして神様の方を向く事が出来たんだと思います。

そう、この状態を見ているのはとっても苦しかったけど…この時があったから、最後の時私は家族親族の前で2人の生き様を語れましたし、「だから、私はここにいる…」って言えたんです。

父の葬儀場所も母と同じ場所で…
これだけは、誰にも譲りませんでした。「2人の願いだから!」と。

結果、お通夜の日でも…ずっと「ゴスペルのCD」を流し通す事が出来たんです。

隣の家族控え室では、遠くから来てくださった人達と兄達がお酒を飲み楽しそうにしていました。

でも、私は母の所で…ゴスペルのCDを流しながら…
そこで一緒に過ごしてくれる人達と…神様が私達にして下さった「証」を語る事が出来たんです。
みんな一生懸命聞いて下さいました。
夜中23時頃、さすがに音を低くしようかと思いましたが…◯◯に相談すると「何で?そしたら聞こえないじゃん!」って言われたんです。

神様が共にいて下さる。何も恐れることは無いって思いました。

そして、おじさん・おばさん達にCDを渡すことが出来たんです。

「じいちゃんもばあちゃんも大好きだったCDだよ…だから最後は二人が好きだったこの賛美の中で過ごしたいって思うんだよって…」

そして、告別式の只中でも私は「両親の信仰」どのように過ごしていたかを語る事が出来たんです。

神様が語って下さった事を心から感謝しています。

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